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ワールドカップ準決勝
オーストラリア 対 南アフリカ  
10月30日 トィッケナム競技場 15:00

 気づけば呼吸が足りなかった、といった100分間。2度目のノーサイドの笛を耳にしたとき、やっとその不足分の酸素を補給できたような感覚だった。笛と笛の間、すなわちプレーが行われている間は10次攻撃であろうが20次攻撃であろうが、息をたくさん吐くこととたくさん吸うことを身体が拒んでいたのだ。抜けるかどうかの瞬間、トライになるかどうかの瞬間、じっと目を凝らし背中に力が入る。もし、そしてそれがうまくいったならば、レフリーの手が上がったトライの瞬間に、歓喜の短い吐息か、もしくは落胆の長い吐息は、観客の身体を正常な状態に戻してくれるだろう。しかし、この準決勝、延長戦を含む100分間にはそのどちらも無かった。ノートライマッチ。重い戦いがあった。
 あっ、抜けたと思った瞬間、強い指先がその勢いを食い止める。それはテレビゲームによくある一撃で死んでしまうが無数に現れるモンスター達とは違う。南アフリカの防御はタックルの数の多さやカバーディフェンスの素早さによるの強さではない。チームディフェンスとしてのねばりより、個人のねばりの方が目立つ。前者が低いけでは決してない。後者が目立ちすぎるのだ。「ねばり」、ラグビーではよく使われる言葉だ。「ねばり強い」もよく使う。しかし、南アの選手は「ねばり強い(ねばったら強い)」のではなく、「強いねばり(強さがしつこくねばる)」なのである。個人の執念が指先まで浸透し、一発のタックルに集中する。うまくスペースを造り出し、そこに鋭く入っていくオーストラリアの選手。しかし、体をずらしているのにもかかわらず、南ア選手の横に伸ばした腕は壁のように機能する。パワーは世界一。腕は引っ掛けるものではない。彼らにとって、腕はボールを持った者をその場で止める盾である。その壁のような腕が届かないときには、ビンビンした指が、突破しかった選手を力強く掴み戻す。今、試合を振り返っても、不思議と南アの選手の表情が全く思い浮かばない。イメージは顎をひいて殺気立っている15人のソルジャー。主将・ハイゼンはスクラムハーフにもかかわらず、キックオフ(PG後のリスタート含む)も常に一番にタックルに行き、巨漢ロックに刺さる。トライが無かったもの当然かもしれない。
 おなじく、トライによる失点なし、オーストラリアも鉄壁を見せた。しかし、南アほどの「強いねばり」が見えない。サモアほどの「パワー」も見えない。ところがよく見てみると、クラッシュのにぶい音は聞こえないにしても、攻めているはずの南アが圧力を受けているのが分かる。もっとよく観察すると、パワーが見えないということとパワーが無いと言うことは同義でない事に気づく。パワーとパワーがぶつかればもちろんそれは見えるが、相手のパワーの無いところに全体重を注ぎ込むタックルは「力強さ」があらわれにくいのだ。体力的にも時間的にも、最も効率よくラグビーコンタクト(タックルや当たりなどの接触プレー)をおこなっているオーストラリア。スキル的に「うまい」からこそ、パワーが一人歩きせず、コンタクトプレーの始まりと終わりの時間が短くなる。すなわち、タックルで言えば相手に触れてから倒すまでがはやい。これは、攻撃面を見てもよく分かる。オーストラリアはボール・リサイクルがきわめてはやい。ボディー・コントロールがうまい。パワーを注ぎ込むべき瞬間と方向を常に探しているように「スッ」とラックを作り、「サッ」とオーバーを行なう。一方、南アは腕力や背筋力に任せ、「ググッ」と相手の絡んだ手を引きちぎるようにラックを作り、「ガバーン」とオーバーをする。「ググッ」と「ガバーン」はラグビーにおいて多くの時間とパワーを消費することになる。
 トライの可能性をことごとく潰す両者のタックルにより、ゲームは後半40分を過ぎたロスタイムにPGで同点21対21。その後、10分ハーフ前後半(計20分)の延長戦に入ったが、ここでもインゴールラインは遠かった。勝負を決めたのは、キックによる6点のみ、オーストラリア27対21南アフリカ。バックスタンド席からであ
るが、ほんの少しだけ南アの方が消耗しきっていたように見えた。パワーを持った方が、パワー疲れし、パワーを持っていない方が、延長戦後半、パワーで優った。どっちが勝ってもおかしくなかったこの試合。限られた時間と限られたエネルギー。「スッ」と「ググッ」の差が、結果をわけたのかもしれない。
 最後まで分からなかった試合。浅い呼吸はどっと疲れをくれました

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